星野嘉郎/Hoshino Yoshiro プロフィール
株式会社日本総合計画研究所 代表取締役
1941年中国・瀋陽生まれ。’65年武蔵野美術大学工業デザイン科を卒業後、設計活動に従事。’81年日本総合計画研究所代表取締役、所長に就任後、’09年取締役会長に就任、’11年代表取締役兼会長に就任、現在に至る。
■大連発展の時期をつかみ中国進出
大連と係わったのは、金石灘の都市計画に参加したのが最初でした。その後中国銀行大連支店のコンペで第一位を取ったのを皮切りに、大連婦人病院や東部開発計画、大連駅改造計画などのコンペなどで一位、二位と入賞したのですが、実際に実現したのは大連森林動物園の第一期工事分や労働公園のサッカーボールの西側エリア、老虎灘の極地館などですね。
私は元々工業デザイン科で学んだのですが、始めは造園の会社に勤め、一級造園施工管理技士・一級建築士の資格を取得し、自分の会社を興したのです。
初めての大きな仕事は静岡県の草薙球場で、この時日本で最初の一本柱のナイター設備をデザインし、それが好評を博して、以来昭和年代終わりまで球場などスポーツ施設を設計してきました。 また1982年には森ビルの赤坂アークヒルズの設計にも携わりました。その後日本のバブルがはじけた頃からでしょうか、中国へと仕事を拡げたのは、ちょうど大連の発展の時期と重なったのが切っ掛けで、今では中国でのプロジェクトが主になっています。
■造園は人間心理が基調。それをどのようにその地域にあったデザインをするか!
1999年、上海の静安公園の国際コンペで一位を取り、リニューアルを手がけたのですが、現場にタオルを下げて出向き、現場の人たちと一緒になって、石の削り方や貼り付け方を実践して見せたのが話題になったんです。欧米の設計士だとデザインに変更があると途中で投げ出してしまう例が多いと聞きますが、日本人設計士は最後まで付き合うと評判になりました(笑)。いまだに日本人設計の公園として、静安公園の人気が高いのは嬉しいですね。これも上海に良い作品を作りたい、残したいとお互いに共鳴しあって、その地の特性にあったモノを作り上げたからでしょう。
静安公園
建築や造園のデザイン用語として「折れ曲がり」「飛び石・千鳥」「借景」「歪み」「男坂・女坂」「そり」「さわり」などがあるのですが、これらは皆、人間の心理を巧みに生かした技法です。銀閣寺の参道の「折れ曲がり」を例に取ると、最初の角で大通りからの喧噪が静まり、次の角を曲がると参門が見えてくる。「次は何かな?」と別世界への期待感が高まってくる。こうした人間の心理というモノは日中共通です。
大連鉄道学院付近にある、3棟からなる1・6haの公寓を手がけたのですが、此処の共有スペースは「折れ曲がり」や「借景」などの技法を使ってます。施工段階では施主や住民から文句を言われたのですが、今年1月に完成したら、今では褒められてます。同様に青雲林海にある公寓も遼寧省の景観賞を頂戴しました。これらは人間の心理がデザインの基調であると言う証左でしょう。そのほか、人間には人と人の心地よい距離、パーソナルスペースというモノもあります。こうした人間の原点を知らずして、単にパターン化による昨今のデザインでは、人に快適な空間を提供出来ないと思ってます。
1.6ha団地
また素材からのデザインも重要です。石にもいろいろあって、植物と同じように命があると捉えるべき。大連は冬が寒い。そこに大手町のような切石を使ったデザインをしたらどうなるか。同じ石でも銀座の歩道のように凸凹があってちょっと暖かみを感じさせる技法が求められます。先に述べたようにその地域の特性があり、環境と人間の心理の篩い、フィルターをを通して選択していくのがデザインです。素材、心理、環境といった領域から、時間を掛けて収斂していった先にあるのが、完成されたデザインだと私は考えています。
今の中国は情報が集まり過ぎて逆にまとまりが無く、居心地が悪くなっていると感じています。現在、近代的、現代的デザインと称されるモノは、逆に次の時代には無くなってしまう、普遍的デザインとは言い難いモノが多い。この中国で10年、20年後の人が認める、また年代に関係なく誰が見ても良いと感じてくれる建築・景観をこれからも創っていきたいですね。
(Concierge大連 2004年12月号掲載 )